――「これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる。」
▼あ――ア。キチガイと天才は紙一重、つまりはその間の存在は紙一重の中でしかないわけだ
<だのにこの謳い文句だ、一種のアイロニーなのかね。>
閑話休題。そんな些末な違いでも「見つかって」しまうとさぁ大変。黄色い救急車のご到着だ。ええいええい、道を空けよ、野次馬は家に引っ込め、キチガイどののお通りじゃ。哀れキチガイ、哀れキチガイの親類縁者、末代までの恥晒し、キチガイ地獄へご案内……スカラカ、ポクポク。チャチャラカ、ポクポク……。
▼あ――ア。分かるかな?そんな紙一重未満の薄っぺらいレッテルが地獄とそれ以外を分けるのだという。
お医者様にレッテルを貼っ付けて貰って薬を処方して貰ってその違いと見受けられる処を主観的にだか客観的にだか知らないが、目立たなくするのが「療法」なんだ。
いいかい?精神病然りマイナー性志向然りそんな些末な違いを違いとして受け入れて生きるってのがこの事なんだ、キチガイは自分や周りが思ってる程キチガイじゃないのかもしれないし、キチガイ以外の人たちは自分たちが思ってる程キチガイでなくはないかもしれないってことなんだよ。
自身をどちらに置くかはご随意に、後者のマイナー性志向は自己満足で終わるのかもしれないしアイデンティティの中核を担う手助けをするかもしれない。
前者の精神病に関しては科学的な対処には効果はあるのだろうし、メンタルを「治す」のが言う所の彼等のお仕事であってその需要も現代では多いのだから尻込みも程程にすればいいではないか、過去の時代では迫害されたという事を鑑みて現代の環境を享受するのは決して頭の悪い判断ではないだろう。
尤も先天的で絶対的な表か裏かの解明が出来るとは思えないが、理屈としては脳髄で脳髄の事を考えるよりは易しいのかもしれない、自分ではない別の物を調査するのだからね、医学っていうのはそうやって培われてきたものなのだね……スカラカ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ……。
これ(上巻に限定)を読みきるのは容易な事じゃない、流し読み斜め読みNGの一語一句飛ばさずの精読を為し得た人は間違いなく精神に異常を来しているのだろうよ。
読書狂(どくしょぐるい)とは又違う、夢野狂、及びドグラ・マグラ狂であるか、活字狂(かつじぐるい)の類であると自覚が必要だ。
膨大な情報量はあるものの内容的な反復が多い為漠然とした雰囲気は分かりやすいのだが、そこから更に一歩踏んだ理解をしようとすると雲をつかもうとする心地がする、作者の知識と世界観の中に何を見出せるかっていうのが一番近いのだろうかね。
本としては、人に勧める事が出来ない本だと思う。人に合う、合わないにおける極致に在る様に思われるが故に奇書と謳われるでありましょうが。酔狂で読む類の本です、生半可な気持ちであれば決して手を出してはいけないよ、本としてはね・・・・・・チャカポコチャカポコ。